満月の日に境内にある天洞岩という霊石に願掛けすると願いが叶う、とされている天佑稲荷に満月参りに行ってきました。
当日はものすごい雨で車のワイパーを最速にしても前がよく見えず、さらに薄暗いので恐怖さえ感じるほどの土砂降りだったんですけど、ラッキーなことに駐車場に着く頃には雨もほとんど止んで傘もいらなくなってました。
(ここでご紹介する画像は撮影したのが夕暮れ時だったということと、私のカメラの腕が未熟だったせいで鮮明でないものもあります。ご容赦を。)
階段の途中に・・・
ここが駐車場から天佑稲荷に行く階段です。
ハレーションを起こしてしまっているように見えますけど、明るいのは満月まいりに来た人のためのナイター照明です。
階段はけっこう急で、膝痛持ちやお年寄りの方のために上まで手すりが設置してあります。
右側に見えるのが門前茶屋で、ここで相当年期モノの食器棚に入っているお供え物の油揚げ(30円ナリ)を買ってからさらに上に向かいます。
(デジカメの撮影モードを間違えて丸く写ってしまいました。)
階段を登っていくと、お稲荷さんらしくお狐様の石像が左右からこちらを睨んでました。
精悍な顔つきですね。
さらに階段を上に行くと、鐘撞き堂がありました。
ここは神社なのになぜ鐘撞き堂があるの?と不思議に感じました。
天佑稲荷はもともとは恵那市にあった
さらに階段を登っていくと、天佑稲荷の由来が書かれた石碑が建っていました。
苔のようなものがついて画像では文字が読み取れないんですが、だいたい次のようなことが書かれています。
昭和33年、各務英哉沙門(沙門とは修行僧のことです)が恵那峡北岸に堂宇(仏堂)を建立せよとの霊告を受けて用地取得のために当時の蛭川村と交渉、村有地八千坪余りの提供を受けて一堂を建立。
そして昭和38年7月8日の深夜に大法要を営み、天佑稲荷真天を奉安したとのことです。
一介のお坊さんに蛭川村(当時は恵那郡蛭川村、現在は中津川市蛭川)が八千坪もの土地を提供したのかといぶかってしまうんですけど、石碑には蛭川村長の名前も刻まれていますので本当なんでしょうね。
私の幼少期には、天佑稲荷は中津川市のお隣の恵那市長島町羽白(おさしまちょうはじろ)にありました。
なにせ幼かったのでよく覚えていないんですけど、そこの人(和尚さんか神主さんかもわかりません)は盲目の人で霊視がすごく、いろんな悩みを抱えた人が助けを求めて各地からやって来るということを母親から聞いたことがあります。
母親も財布を無くしたときに天佑稲荷(長島町の)に行ったと話していたような覚えがあります。
恵那の天佑稲荷も今もあるんですけど、ここと比べると規模はとても小さく、少しさびれてしまっています。
階段を登り切った少し先にお堂があります。これってお寺ですよね。
さっそく門前茶屋で買った油揚げをお供えしようとしたら、まだ明るい時間なのにもう30以上の油揚げがお供えしてありました。
前回満月まいりに来たときも、今くらいの時間にこれくらいの数がお供えしてあったので、満月まいりに詣でる人は同じ人が多いのかなぁと思いました。
お参りしようと続いてお賽銭箱の前に行くと、お参りするときに唱える言葉が書かれていました。
ここでも少し違和感を感じたのは、「オン ダキニキャ・・・・」は真言であり仏教のもの、「天佑稲荷大明神」は神道のもの。
ここは仏教の施設なのか神道の施設なのかということです。
神仏習合が今も続いているのでしょうね。
とりあえず書かれていた言葉(天佑稲荷大明神)を21回と、光明真言と禊(みそぎ)の大祓の両方を唱えてきました。
本殿の横の社務所にみえた方に、「ここは神社なんですか?お寺なんですか?」と聞いたところ、天佑山大洞院というお寺の横に神社を建てたということでした。
やっぱり神仏習合だったんです。
本殿の左20mくらいのところにあるのが、満月の日に願掛けをすると願いが叶うと言われている天洞岩です。
巨大な一枚岩で、太いしめ縄がかかってました。
ここにも浄財(お賽銭)を入れ真言と禊の大祓を唱え、しっかりと願掛けをしてきました。
さらに左に行くと、天佑山と書かれた大きな建物が。
中は見なかったので何のための建物かは分かりませんでした。
さらに左に行くと楊柳観音がありました。
楊柳観音は病気を治してくれる観音さまで、三十三観音のうちの一つです。
左下にある木製の箱は、紙に自分の名前と身体の悪い部分を書いて収めるためのものです。
楊柳観音の前に霊水が流してあったので、水晶のブレスレットに流しかけて浄化してきました。
ほかにもっと上にいく道もあったんですけど、今月の天佑稲荷の満月まいりはこれで終わりです。
今日見られなかったところは、もっと明るいときに訪れたいと思います。
最後に天佑稲荷から恵那峡のほうに向かって一枚パチリ!
恵那峡ワンダーランドの大観覧車やジェットコースターが見えますね。
天佑稲荷がここに建立されたときには恵那峡ワンダーランド(最初は恵那峡ランドという名前でした)もまだなく、そのころここから見た風景はどんなだったかなぁと思いながら参道を下り、天佑稲荷をあとにしました。
今日はまだ明るいときの満月まいりでしたが、今度は都合がつけば暗いときの満月まいりにも来てみたいと思います。
最後まで読んでいただき、どうもありがとうございました。