うつ病になった人の多くが考えるのが死についてのことです。
「死について頻繁に考えるようになる」ことはうつ病の判断基準の一つでもあるそうです。
私もそうでしたが「どうやったら楽に死ねるのか」とか「死んだあとはどうなる?」とか、今から思うと不遜なことばかり考えていました。
一方で、頭のどこかでは自死はいけないとも思っていました。
今回は少しばかり重い話になっちゃいますが「なぜ死んではいけないのか?」という問題に、私なりにたどり着いた結論を書いていきます。
答えは見つからない
宗教観
私が死について考え始めたとき「なぜ死んではいけないのか」ということを知りたくて、ある仏教の関連団体が行っている講話を聞きに行きました。
仏教では、人間に生まれたことは大変にありがたいことで、自ら命を絶つということは阿鼻叫喚の地獄へ落ちることを意味するのだとされているそうです。
イスラム教も同様で、自殺した人は地獄の業火に焼かれると説かれています。
しかし、誰かその地獄を見てきた人がいるんでしょうか。
子供に聞かせるような説法では、スッキリと納得することはできませんでした。
家族
「あなたが自死すれば残された人、家族や知人、友人に大変な悲しみを与えることになる。」とは、よく言われることです。
しかし、自死でなくても身内や友人の人が亡くなれば、その悲しみは相当なものです。
それに、天涯孤独で家族も友人も知人もいなければ自死してもいいのかという疑義が生まれます。
この説明も納得できるものではありません。
私が初めて身近な人が自殺をしたという経験をしたのは、高校時代の同級生でした。
彼の家に遊びに行ったりして、結構仲がいい友人でした。
私も彼も高校卒業後は家を離れ、彼は頭が良かったので国立大、私は私立大へと同じ市内に住んで大学に通ってました。
そして私が高熱を出して下宿で寝ていたとき、電話でその友人が自殺したという連絡が入りました。
高熱でフラフラだった私はお通夜にも葬儀にも行けず、彼が自殺した理由は分かりませんでした。
その後、別の友人に聞いても分かりませんでした。
私は何でもっと彼と連絡を取って、彼の悩みを聞いてあげられなかったのかと後悔しました。
しかし死のうとしている人に、周りの状況なんて見えるはずはなく、彼にとって私の気持ちなどどうでもいいことだったんです。
状況が冷静に理解できていれば、死のうなんて考えることはないはずだからです。
知識人の見解
テレビで知識人と言われる人が、生きていればいいことがきっとあるから、みたいなことを言ってました。
自殺を考えている人は先のことに思いを巡らす余裕なんてありません。
そんな人に向かって、なんと呑気なことを言ってるのかと思いましたね。
こんなことを言ういわゆる知識人たちは、自死について真剣に考えたことなどないんでしょう。
あるいは、自死をする人は弱い人だと思いこんでいるんでしょう。
このように、なぜ死んではいけないのか?という問いに対して、明確な回答を得ることはできませんでした。
死にたいと思う気持ちの裏側
私は「なぜ死んではいけないのか?」ということを考えているうちに、「私は一体何をやっているんだろう?」とある思いにたどり着きました。
「死にたいのならとっとと死ねばいいんじゃないか」、自死の正当性を探しているのは、本当は死にたくないんじゃないか?ということに気づきました。
本当は生きたいんだけど、生きていくには辛すぎる現実がある。
その現実から逃れるために死を考えているんじゃないか、その現実が無くなれば死ぬことはないという思いです。
その思いに気がついたとき、頭の中の霧がスッと晴れたような気がしました。
私のうつの原因は上司によるパワハラだったため、すぐに辞表を書いて一ヶ月後に会社を辞めました。
辞表を書いたら上司が私に関わってくることもなくなり、それまであんなに辛かった状況が消え、私のうつの症状も嘘のように霧散しました。
これは私の体験なんですけど、死にたいと思っている人の多くは私のように、「本当は死にたくない」という裏の気持ちを持っているんじゃないかと思います。
「生きる」ということは、すべての生物が持っている本能です。
その本能に従って生きるために、現実を変える、言い方は良くないんですが現実逃避をすることも必要なんじゃないかと思います。
終わりに
私は人間だけに与えられた自死という手段を否定するわけではありません。
だけど、死にたいって思っているときは辛い現状のことしか頭になく、視野が極端に狭くなっていて他の解決策なんか全く考えられないという状況なんです。
自分の本当の気持ちに向き合うことが必要なんだと思います。
自殺者に占めるうつ病患者の割合は4割を超え、うつ病患者の自殺率はそうでない人の3倍にもなると言われているそうです。
この記事が死にたいと思っている人の助けになれば幸いです。
今回はたいへん重い話になってしまいましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。