日本では昔から「挨拶は時の氏神」とか、「正直の頭に神宿る」とか神に関することわざがろいろありますね。
それだけ神を身近なものと感じていたのかなぁと思ったりするんですけど、逆に「神も仏もない」なんていう言葉も使ったりします。
神はいるのかいないのか?
今回はそんな大仰な問題について考えてみました。
宗教における神
「神」と聞いて誰もが連想するのキリスト教などの宗教ではないでしょうか。
そこで私達がよく見聞きしている宗教における神についてみてみました。
ヒンドゥー教における神
ヒンドゥー教はバラモン教を引き継いだ世界で一番古いと考えられている宗教で、インドやネパールなどの特定の地域で信仰されている宗教です。
信者の数は11億人と多いんですが、信仰者の住む地域が特定の地域に片寄っている民族宗教のため、世界三大宗教には数えられていません。
ヒンドゥー教では次の三大神が信仰されています。
- ブラフマー神
- ヴィシュヌ神
- シヴァ神
ブラフマー神は創造神であり宇宙全体を想像した神、ヴィシュヌ神はその宇宙を維持している神、シヴァ神は破壊神としてあがめられています。
(シヴァ神は破壊神なのになぜ?と思いますが、シヴァ神には病気を治癒させてしまうという力もあり、また生活を破壊してしまう暴風雨も恵みの雨となるという側面があるからです。)
このように、ヒンドゥー教では唯一絶対の神がいるわけではなくて、それぞれ違った力を持つ三大神が信じられています。
ユダヤ教における神
ユダヤ教はキリスト教のルーツともなった宗教で、地中海沿岸のレバノン、ヨルダン、イスラエルあたりで広がった宗教です。
ユダヤ教で信じられている神はヤハウェという絶対神です(ヤーウェやヤハヴェと発音されることもあります。日本ではエホバが一般的です)。
ヤハウェは創造主であり、その教えに従えばどんな人でも救われるという、苦しい人生を救ってくれる絶対的な神です。
ユダヤ人が十戒を授けられたのはこのヤハウェからです。
十戒のうちのひとつに偶像を造ってはいけないという教えがあり、神そのものの像がないのはそのためです。
キリスト教における神
キリスト教はユダヤ教から派生した一宗派で、そのために信仰する神もユダヤ教と同じヤハウェです。
キリスト教と名前がついてはいますが、イエス・キリストは神ではなくて神の子であり、父(父なる神)、精霊とともに三位一体と言われています。
イスラム教における神
イスラム教はキリスト教よりも新しくできた宗教で、信じる神はキリスト教と同じヤハウェですが、その呼称はアッラーとかアッラーフとされています。
キリスト教ではイエス・キリストが預言者とされているのに対し、イスラム教ではイエスも預言者として認めているものの、イエスよりも新しいムハンマドが最後の預言者として究極の福音を預かったのだとしています。
また、イスラム教では三位一体を認めてなく、神は神、神の子はただの人という立場に立っています。
仏教における神
仏教では、キリスト教やイスラム教のように万物を想像した絶対神というものは存在せず、物事はすべて因縁によって起こるとされています。
また、仏教は悟りを開くことが人生の究極の目的である、とも説いています。
お寺に行くと大日如来や薬師如来の像が置かれていますが、如来は神ではなくて悟りを開いた人のことです。
悟りを開くとはどういうことかと言うと、宇宙の真理を知ることです。
何か(神)に救いを求めるのではなく、自らが悟りを開けば自ずと救われるというのが仏教の考え方です。
従って、仏教では神の存在には言及していないのです。
神道における神
神道における神はいわゆる八百万の神で、すべてのものには神が宿るというのが神道の考え方です。
日本にはものすごい数の神社があり、その数はコンビニの数よりも多いそうですよ。
昔の人は八百万の神を本当に信じていたのだと思います。
でもこの神は、キリスト教やイスラム教の神のように人々を救う神というのとは少し違うように感じます。
その昔は人々が地震や火山の噴火、台風などはそれぞれの神が怒ったために起きたのだと考え、畏怖したのでしょう。
そういった意味では、神は救済されるためにすがるものではなく、まっとうに生きて機嫌を損ねないようにするものだったのではないのかなと感じます。
こうしてみてくると、人々の苦しみを救ってくれるという意味での神は日本の二大宗教である仏教と神道では存在せず、世界で広く信仰されている宗教は神の存在が前提になっているということが分かります。
キリスト教やイスラム教などの信者数は40億人ほどですから、世界中の半分以上の人が神の存在を信じていることになります。
でも神を信じている人が多いということと、神が存在しているということは別の話ですね。
科学と神
神の存在は科学というものが存在しない頃から信じられてきました。
なぜ太陽は昇るのか、宇宙はどうやってできたのか、などその時代の人智ではとうてい解明できないことは神が行っているとしてきたわけです。
しかし地動説やビッグバン理論が科学によって解明された今、それらを神の仕業と思う人は少ないと思います。
でも、古くはガリレオやニュートン、アインシュタインにいたる多くの科学者が神の存在を信じています。
ALSを発症して苦難の人生を送ったホーキング博士は「神はいない」と断言していますが、その神は万能の力を持った擬人化された神という限定的な意味なのではないでしょうか。
多くの科学者が信じている神もそのような神なのではなく、この宇宙にあまねく当てはまる宇宙の法則、宇宙の真理のことを神に例えているのではないかと思います。
しかし、地球や人間のことを含めた宇宙のことについて分かっているのはほんの僅かです。
それが全部分かることは永遠にないと思いますが、それを解明しようとすることが神の領域に近づいていくということなのではないでしょうか。
神はいるのかいないのか?
ここで問題にしている神とは宇宙の真理などというものではなく、私のような凡人にとっての神とは苦しくつらいときに救ってくれる神のことです。
しかし、神がいるかいないかの答えは永久に出そうにないのだから、それほど意味はないことだと思います。
聖書には「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」とあります。
イエスが私達のために十字架に架かって死に、三日後に復活したことを信ずることによって、不安や恐怖が消えて平安な気持ちが訪れるということです。
でも救われるために信じるのはイエスでなくてもよいのではないでしょうか。
苦しい現状も必ず良い方向に向かうと心から信じることで救われる、とも言えるのではないでしょうか。
しかし、ああなったらどうしようとか、こうなったら不安だとかを考えてしまって「心から信じる」ということは大変に難しいことです。
そこで、どうやったら事態が良い方向に向かうかは神に任せておいて、現状の問題に固執することをやめて気楽になることが重要なんじゃないかと思います。
こんなことを書くと「お前は引き寄せオタクか?」と言われるかもしれませんが、私達が思考や感情で自分の世界を作り上げているということはある程度真実です。
悲観主義よりも楽観主義のほうが幸せに近いのは間違いありません。
「笑う門には福来たる」とも言います。
すべてを神に任せて物事に執着するのを止め、「なるようになるさ」くらいの気楽な気持ちでいるのがいいんでしょうね。
まとめ
- 宗教には絶対神を認めるものもそうでないものもある
- 科学者の多くは神を信じている
- 神がいるかいないかはさほど重要ではなくて、神を信じて気楽な気持ちになることが大切
神のことについて言及するのは畏れ多いような気もしますが、後半の部分では私の考えを書いてみました。
言葉足らずのところもあると思いますが、あくまでも私の考えなので大目に見てやって下さい。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。